東京高等裁判所 平成4年(行ケ)35号 判決 1995年1月17日
イギリス国、ロンドン・エス・ダブリユ・
1・エイ・2エイチ・ビイ、ホワイトホール(番地なし)
原告
イギリス国
同代表者
ロバート・ウィリアム・ベッカム
同訴訟代理人弁護士
中島和雄
同弁理士
川口義雄
同
中村至
同
船山武
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官 高島章
同指定代理人
平井良憲
同
光田敦
同
市川信郷
同
関口博
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告のための附加期間を90日と定める。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
「特許庁が平成1年審判第12813号事件について平成3年9月30日にした、平成元年8月11日付けの手続補正に対する却下の決定を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
二 被告
主文一、二項と同旨の判決
第二 請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告は、名称を「液晶装置」とする発明(以下「本願発明」という。)につき、1982年(昭和57年)6月29日にイギリス国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和58年6月28日特許出願(昭和58年特許願第116832号)をしたが、平成元年4月3日拒絶査定を受けたので、同年8月11日審判を請求し(平成1年審判第12813号)、同日付けで手続補正(以下「本件補正」という。)したところ、平成3年9月30日、本件補正を却下する旨の決定(出訴期間として90日を附加。以下「本件決定」という。)があり、その謄本は同年11月11日原告に送達された。
二 本件決定の理由の要点
1 平成元年8月11日付け手続補正書により補正された明細書及び図面は、特許請求の範囲が補正されるとともに、明細書及び図面が以下(イ)ないし(ハ)の点で補正されるものである。
(イ) 願書に最初に添付した明細書(以下「当初明細書」という。)第21頁末行ないし第22頁1行「π/2捩れネマチック」を「π/2捩れネマチックを参照」と補正し、「3π/2捩れセルは、π/2セルと類似の方法で、偏光切換ないし可変複屈折セルとして動作する。・・・第14図の曲線は類似している。」(平成元年1月19日付け手続補正書による補正明細書(以下「全文補正明細書」という。)第27頁10行ないし第28頁9行)及び第13、14図(平成元年9月8日付け手続補正書により加入された図面、以下「補正図面」という。)を加える。(以下「(イ)の補正」という。)
(ロ) 「液晶材料E43、E63、E70、ZL132を用いた場合の実験結果・・・変化をもたらさないことが分かる。」(全文補正明細書第31頁10行ないし第43頁8行)及び第15ないし27図(補正図面)を加える。(以下「(ロ)の補正」という。)
(ハ) 「ヒステリシスの値は液晶材料の弾性定数・・・実質的に零のヒステリシスをもった液晶装置を構成することができる。」(全文補正明細書第43頁9行ないし第48頁5行)及び「液晶材料の弾性定数、誘電定数については・・・十分に実験誤差の範囲内にある。」(全文補正明細書第55頁1行ないし第57頁9行)及び第28ないし35図(補正図面)を加える。(以下「(ハ)の補正」という。)
2 そこで、補正後の特許請求の範囲第1項「正の誘電異方性を有する長ピッチのコレステリック液晶材料の層が2個のセル壁部の間に含まれており、セル壁部は電極構造を有すると共に、液晶分子を傾斜付きホモジニアス状態に配向させるように表面処理がされている液晶セルと、2組の電極にr.m.sマルチプレックス・アドレッシングを行う電気信号を印加する駆動制御回路とから成る液晶装置であって、液晶材料の分子配列に依存して透過光を選択的に吸収する手段を有しており、電極構造は一方の壁部でのm個の第1電極組および他方の壁部でのn個の第2電極組として配置されて、m×nのアドレッシング可能な要素を形成しており、表面配向とコステリック材料の自然ピッチとは、層を横断してπラジアンよりも大きく2πラジアンよりも小さい漸進的分子捩れを均質な傾斜方向を持って形成するように設定されており、層の厚みは15ミクロンよりも小さく、駆動制御回路は、各アドレッシング可能な要素をr.m.sマルチプレックス・アドレッシングするように配置されており、該材料の弾性定数および誘電定数、表面配向により生じる分子傾き、捩れ角、層厚みならびに液晶材料の自然ピッチは、それらが総合して、実質的に零のヒステリシスをもった急峻な透過-電圧特性を与えるように設定されており、それによって該装置はオン状態とオフ状態との間で直接に切換えられるようにマルチプレックス・アドレッシングされ得ることを特徴とする液晶装置。」の記載中、(1)「液晶材料の分子配列に依存して透過する光を選択的に吸収する手段」(以下「(1)の補正」という。)、(2)「層の厚みは15ミクロンよりも小さく」(以下「(2)の補正」という。)、及び(3)「材料の弾性定数および誘電定数、表面配向により生ずる分子傾き、捩れ角、層厚みならびに液晶材料の自然ピッチは、それらが総合して、実質的に零のヒステリシスをもった急峻な透過-電圧特性を与えるように設定されており」(以下「(3)の補正」という。)の記載について検討するとともに、上記(イ)ないし(ハ)の補正について検討する。
(1) (1)の補正について
当初明細書及び願書に最初に添付した図面(以下「当初図面」という。)には、上記「透過光を選択的に吸収する手段」として染料を使用し、偏光子は付加的に使用する発明は記載(例えば、当初明細書第1頁5行ないし第3頁10行、第7頁10行ないし第8頁6行、第8頁14行ないし16行、第20頁12行ないし第21頁15行及び同明細書実施例1ないし3、5ないし10参照)されているが、偏光子のみを該吸収する手段として使用する発明は記載されていない。上記補正は、「透過光を選択的に吸収する手段」に染料または偏光子が均等なものとして含まれることを示すものであるから、この補正により、正の誘電異方性を有する長ピッチのコレステリック液晶に染料を含むことを必須の構成要件とする発明が、染料を含まず偏光子のみを使用するものをも含む発明となるが、これは当初明細書及び図面に記載されておらず、かつ、同明細書及び図面の記載からみて自明のこととも認められない。
なお、当初明細書の実施例4は染料を用いてはいないが、偏光子を用いることについても明示がなく、またネマチック液晶材料を50重量%ずつ混合した液晶を用いるものであってコレステリック液晶を含むものではないから、当初明細書及び図面に記載された発明または補正後の発明の適当な実施例とは認められない。また、当初明細書第21頁16行ないし第22頁1行「高複屈折材料・・・2つのポラライザ間にセルを使用することにより、染料なしに偏光切換効果(π/2捩れネマチック)を得ることができる。」との記載は、従来技術のπ/2捩れネマチックにおいて偏光子を使用した場合に染料を使用する必要がないことを示すもので、π~2πの捩れセルを示すものではない。結局、当初明細書及び図面にはπ~2πの捩れセルにおいて偏光子のみを「透過光を選択的に吸収する手段」として使用する発明は記載されていない。
(2) (2)の補正について
当初明細書及び図面には、液晶材料の層の厚さを示す数値として「20μm未満」(例えば当初明細書の特許請求の範囲及び同明細書第8頁1行、2行参照)及び「6μm」「8μm」(実施例参照)が示されるのみであるから(層の厚さを示す記載として「12μmもしくはそれ以上」(当初明細書第21頁16行)との記載はあるが、これはπ/2捩れネマチックに関するものであって、本願発明の捩れセルを示すものではなく、層の厚さの上限を示す数値でもない。)、「層の厚みを15ミクロンよりも小さく」することは当初明細書及び図面に記載されておらず、かつ、同明細書及び図面の記載からみて自明のこととも認められない。
(3) (3)の補正について
当初明細書及び図面には、弾性定数及び誘電定数については液晶材料のk33/k11、Δε/ε⊥のデータが記載されているのみであって、弾性定数及び誘電定数により実質的に零のヒステリシスをもった急峻な透過-電圧特性を与えるように設定することは記載されておらず、かつ、同明細書及び図面の記載からみて自明のこととも認められない。
(4) (イ)の補正について
この補正は、ⅰ)3π/2捩れセルがπ/2セルと類似の方法で動作すること及び該3π/2捩れセルの透過-Δnd/λ曲線(第13図)、ⅱ)モーガン極限を考慮して上記液晶セルを動作させること、並びにⅲ)隣接する配向方向に対して偏光子を45度の角度をもたせて配置した偏光子の間に3π/2捩れセルを置くこと及び該セルの透過-Δnd/λ曲線(第14図)の各事項を加えるものであって、特許請求の範囲の上記(1)の補正内容のうち、偏光子のみを「透過光を選択的に吸収する手段」として使用することに関する部分の裏付けをなすものであるが、当初明細書及び図面には、π/2捩れネマチックについての記載(当初明細書第21頁16行ないし第22頁1行)はあるけれども、上記補正事項は記載されておらず、かつ、同明細書及び図面の記載からみて自明のこととも認められない。
(5) (ロ)の補正について
この補正は、ⅰ)染料を含まない実験結果及び染料を含まず捩れ角を225度とする実験結果(第15ないし23図参照)、ⅱ)液晶セルの透過-電圧特性をθm-電圧特性により予測すること及びθm-電圧特性の計算結果(第24ないし27図参照)、ⅲ)θmの電圧依存曲線の初期傾斜に関する計算式が捩れ角φ、d/p、弾性定数、誘電率等のパラメータを含むこと及び該パラメータのうち弾性定数、誘電率を選択、制御することにより液晶装置のヒステリシス等の性能を所望のものにし得ること、並びにⅳ)染料がディレクタの性質に著しい変化をもたらさないことの各事項を加えるものであって、特許請求の範囲の上記(1)、(3)の補正内容の裏付けをなすものであるが、当初明細書及び図面には上記補正事項は記載されておらず、かつ、同明細書及び図面の記載からみて自明のこととも認められない。
(6) (ハ)の補正について
この補正は、ⅰ)ヒステリシスの値が、液晶材料の弾性定数、誘電定数、誘電異方性の装置パラメータに依存すること、ⅱ)ディレクタの傾き角θm-電圧特性、電圧-捩れ角φ、電圧-d/p比、電圧-表面傾きθs、電圧-γ、電圧-スプレイ弾性定数k11、電圧-捩れ弾性定数k22、電圧-曲げ弾性定数k33を具体的にプロットした第28ないし第35図、及びⅲ)k33/k11比をパラメータとして液晶の特性を変えることの各事項を加えるものであって、特許請求の範囲の上記(3)の補正内容の裏付けをなすものであるが、当初明細書及び図面には上記補正事項は記載されておらず、かつ、同明細書及び図面の記載からみて自明のこととも認められない。
3 したがって、本件補正は明細書の要旨を変更するものであるから、特許法159条1項(平成5年法律第26号による改正前のもの)において準用する同法53条1項(同上)の規定により却下すべきものとする。
三 本件決定を取り消すべき事由
1 本件決定の理由の要点1(本件補正の内容)のうち、特許請求の範囲が補正されたことは認めるが、その余は争う。
同2冒頭部分のうち、補正後の特許請求の範囲第1項の記載は認める。
同2(1)のうち、当初明細書及び図面には、「透過光を選択的に吸収する手段」として染料を使用し、偏光子は付加的に使用する発明は記載されていること、(1)の補正は、「透過光を選択的に吸収する手段」に染料または偏光子が含まれることを示すものであり、この補正により、正の誘電異方性を有する長ピッチのコレステリック液晶に染料を含むことを必須の構成要件とする発明が、染料を含まず偏光子のみを使用するものをも含む発明となること、当初明細書の実施例4は染料を用いていないことは認めるが、その余は争う。
同2(2)のうち、当初明細書及び図面には、液晶材料の層の厚さを示す数値として、本件決定摘示のものが記載されていることは認めるが、その余は争う(但し、当初明細書及び図面に「層の厚みは15ミクロンよりも小さく」との記載自体がないことは認める。)。
同2(3)のうち、当初明細書及び図面には、弾性定数及び誘電定数について液晶材料のk33/k11、Δε/ε⊥のデータが記載されていることは認めるが、その余は争う。
同2(4)ないし(6)は否認する(但し、(イ)、(ロ)、(ハ)の各補正が本件決定摘示事項の裏付けをなすものであることは認める。)。
同3は争う。
本件決定は、本件補正による補正事項を誤認し、かつ、その摘示する各補正事項につき、当初明細書及び図面に記載されておらず、同明細書及び図面の記載からみて自明のこととも認められないと誤って認定した上、本件補正は明細書の要旨を変更するものであると誤って判断して、本件補正を却下したものであるから、違法として取り消されるべきである。
2 (1)の補正についての認定の誤り(取消事由その1)
(1) 本件決定は、当初明細書(甲第4号証)中の「高複屈折材料および12μmもしくはそれ以上の層については、2つのポラライザ間にセルを使用することにより、染料なしに偏光切換効果(π/2捩れネマチック)を得ることができる。」との記載(この記載部分を以下「第21頁16行ないし第22頁1行の記載」という。)につき、従来技術のπ/2捩れネマチックにおいて偏光子を使用した場合に染料を使用する必要がないことを示すもので、π~2πの捩れセルを示すものではない旨認定しているが、以下述べるとおり誤りである。
<1> 当初明細書第4頁3行ないし8行には、「本発明は、分子が自然に螺線構造をとり、その螺線軸線を層の面に対し垂直にする長ピッチのコレステリック混合物を利用する。長ピッチのコレステリック混合物は、典型的には数%のコレステリック液晶材料をネマティック液晶と混合することにより形成される。」と記載され、続く記載において、90°捩れネマティック装置、短ピッチのコレステリック材料を使用する装置、及びピッチが層厚さに等しいコレステリック材料を使用する装置を公知の装置として、本願発明に係る液晶装置と対比的に説明していることからすれば、液晶材料として長ピッチのコレステリック材料を使用する点が、従来装置とは異なる本願発明の最も基本的な構成の一つであることは動かせないところである。
ところで、第21頁16行ないし第22頁1行の記載は、当初明細書第19頁16行から第22頁1行にかけての第7図(別紙図面参照)の説明の一部をなすものであることは、その記述の流れより明らかである。
上記第7図は、本願発明の液晶装置の印加電圧に対する透過特性を示したものであるが、本願発明の液晶装置といっても、液晶材料として長ピッチのコレステリック混合物を使用し、かつπ~2π捩れの分子捩れを均一傾斜方向に層を横断して与えるように適合させ、r.m.s多重アドレスするという基本構成のほか、染料使用の有無、ポラライザ(偏光子)使用の有無、ガラススライドと液晶分子の長軸との角度の低傾斜、高傾斜の別、セルの厚さ等の諸条件の組合せにより、具体的には種々の態様の装置が含まれうるのであって、第7図は、これら諸条件の組合せの中から特に選択した「染料を含みかつ単一のポラライザを使用する3π/2捩れの低傾斜(たとえば2°)の6μmのセル」(第19頁16行、17行)という、特定の条件設定における本願発明の装置についての印加電圧と透過特性との関係について作図したものである。
そして、当初明細書第20頁12行から第22頁1行までは、第7図に関連して、オン、オフの各状態における光の吸収と偏光切換効果について、液晶材料が高複屈折材料の場合と低複屈折材料の場合について説明したものであるが、光の吸収の点に関しては、ポラライザの使用、不使用、染料の使用、不使用について言及されている。
ちなみに、ポラライザに関していえば、第7図は、前述のように単一のポラライザを使用する条件下における作図であるのに対して、上記説明中においては、液晶材料として低複屈折材料を使用する場合には、オフ状態においてポラライザなしに操作することが可能であること(第21頁2行ないし6行)、オン状態においてポラライザを使用しないことにより明るいオン状態を形成することができること(同頁13行ないし15行)が述べられており、単一のポラライザを使用する第7図の場合を本願発明装置の典型例とみれば、ここではポラライザを使用しない場合の変形例の説明ということになり、いずれにしても本願発明装置そのものの実施態様の例として説明されていることは疑う余地のないところである。
同様にして、これに続く第21頁16行ないし第22頁1行の記載は、第7図の典型例が、前述のように、染料を含み、単一のポラライザを使用し、6μmのセルを使用する条件下の場合であるのに対して、染料を含まず、2つのポラライザを使用し、12μm以上の層のセルを使用するという点において、やはり本願発明装置の変形例たる一つの実施態様として説明されていると解するほかはないものである。
また、第7図の場合の本願発明装置の条件設定として、ことさらに、「染料を含みかつ単一のポラライザを使用する3π/2捩れの低傾斜(たとえば2°)の6μmのセル」と記載されていることの反面解釈として、この記載は、本願発明装置は第7図以外の実施態様においては、染料を含まない場合がありうることを前提とした記載とみるべきである。つまり、上記記載は、長ピッチのコレステリック混合物を使用し、かつπ~2π捩れの分子捩れを均一傾斜方向に層を横断して与えるように適合させ、r.m.s多重アドレスをするという本願発明の基本構成の枠内における各種変動要素に関し、特に第7図の場合に選択した具体的条件を述べたものであるから、ここにわざわざ「染料を含み」と記載されていることは、ここに「単一のポラライザを使用する」と記載されていることが、第7図以外の実施態様においてはポラライザを使用しない場合とか、複数のポラライザを使用することがありうることを示唆しているのと同様の意味において、第7図以外の実施態様においては染料は使用しない場合がありうることを示唆しているとみられるのである。
以上のとおり、第21頁16行ないし第22頁1行の記載は、上記のような示唆を受けて、本願発明装置のうちで現に染料を含まない場合の実施態様を説明したものであると解すべきである。
<2> 第21頁16行ないし第22頁1行の記載について上記のように解すべきことは、以下の理由によっても一層明らかである。
(イ) 本件決定のように解することは、第21頁16行ないし第22頁1行の記載冒頭の「高複屈折材料」の用語は、π/2捩れネマチック液晶材料としてのそれを指すと解することにほかならない。
しかし、そのすぐ上段の同頁11行の箇所においても同一の「高複屈折材料」の用語が使用されているところ、この「高複屈折材料」が本願発明の使用液晶材料である長ピッチのコレステリック混合物たる3π/2捩れネマチックの場合を指していることは明らかであるから、ここで何の断りもなしに、同一の用語が、突如としてπ/2捩れネマチックの場合を指す用語として使用されているとみることはいかにも唐突である。
(ロ) 90°の捩れネマチック装置に関しては、当初明細書の第4頁以下、第14頁以下の各記載において、従来技術としての関連で説明され、第14頁以下の記載では、わざわざ染料を使用しない場合についても言及されているのであるから、第21頁16行ないし第22頁1行の記載において、従来技術にすぎないπ/2捩れネマチックの場合について再度にわたり、本件決定がいうような「従来技術のπ/2捩れネマチックにおいて染料を使用する必要がないことを示す」必要などは全くなかったはずであって、本件決定のように解することはいかにも不自然である。
(ハ) 一般の括弧書きの用法からしても、(π/2捩れネマチック)との括弧書きは、その直前の「偏光切換効果」にかかる補足説明と受け取るのが自然であって、本件決定のように、特段の理由もなく、当該括弧書きが第21頁16行以下の記述全体にかかる説明でもあるかのように受け取るのは、通常の用法を無視するもので不自然きわまりない。
通常の括弧書きの用法に従い無理なく解釈すれば、ここに「偏光切換効果(π/2捩れネマチック)」とあるのは、「偏光切換効果に関してはπ/2捩れネマチックの場合を参照のこと」、つまり「π/2捩れネマチックの場合と同様ないし類似の偏光切換効果」を意味していると解すべきものである。
<3> 以上のとおりであって、当初明細書第21頁16行ないし第22頁1行には、本願発明装置である長ピッチのコレステリック混合物を使用する3π/2捩れセルについて染料を使用しない場合の記載がなされているものというべきである。
(2) 本件決定は、染料を用いていない、当初明細書の実施例4について、コレステリック液晶を含むものではないから、当初明細書及び図面に記載された発明または補正後の発明の適当な実施例とは認められないと認定しているが、以下述べるとおり誤りである。
<1> 実施例4も、当初明細書に実施例として掲げられている以上、本願発明の実施例として、あたう限りその内容を合理的なものとして理解すべきである。しかも、本願発明はコレステリック液晶を含むことを必須とする発明であるから、本願発明の実施例として掲げられている以上は、その液晶材料がコレステリック液晶を含んでいなければならないことはあまりにも当然のことである。
したがって、実施例4においても他の9実施例におけると同様、液晶材料としては、ネマチック液晶に少量のコレステリック液晶を混合したものが用いられているはずと善解すべきであって、たまたま実施例4にのみコレステリック液晶についての記載が欠落しているのは、何らかの事情による書き落としとみて、訂正さるべき誤記と認めるのが合理的である。
<2> 実施例4においても、他の9実施例におけると同様多重化しうるラインの最大数nの値が記載されており、その値は200となっている。このn=200という値は、実施例8のn=590、実施例5のn=268に次いで、本願発明の数ある実施例中でも高い値の部類に属するが、従来の捩れネマチック装置においては染料を使用する場合でn=3、染料を使用しない場合でn=32という低い値しか得られていなかったのに対して、「本発明の表示器は明確なオン/オフ透過特性を与え、したがってnの高い値を与える。」(当初明細書第15頁4行ないし6行)とされていることからすれば、実施例4のn=200という、きわめて高い数値が従来の捩れネマチック装置の数値でありえないことはあまりにも歴然としている。すなわち、実施例4の装置はまさに本願発明であるコレステリック混合物を使用する装置であって、しかも、従来レベルからすれば驚異的に高いレベルの多重化を達成した場合の例と認めるべきものである。
<3> 被告は、実施例4には3/5/7CBのネマチック液晶材料50重量%と3/5/7CNPYRのネマチック液晶材料50重量%とを混合することが開示されており、それらを混合すれば、それだけで100重量%のネマチック液晶材料が形成されることは自明のことであって、それ以外のものが添加される余地はないことを理由に、実施例4においてコレステリック材料が添加されていることはありえない旨主張している。
実施例4以外で2種類のネマチック液晶が組み合わせて使用されている実施例2(ZLI 1289+ME3330重量%)と実施例9(ZLI 1289+BCOエステル30重量%)の場合についてみると、ME33やBCOエステルの30重量%というのは、2種類のネマチック液晶相互間の重量比、すなわち組合せにかかる一方のネマチック液晶ZLI 1289に対する他方の各ネマチック液晶の各重量%を示しているものである。したがって、上記各実施例における記載の仕方との均衡上、実施例4に、3/5/7CB50重量%とか3/5/7CNPYR50重量%とかと記載されている場合のこれら重量%も、組合せにかかる2種類のネマチック液晶相互間限りにおける重量比を示すもの、すなわち両ネマチック液晶材料を50対50の当量組合せにおいて使用するとの意味に理解すべきである。
被告の上記主張は、実施例4の上記各重量%の数値が同実施例の液晶材料全体に対する重量%であると誤解したことに基づくものであって、誤りである。
(3) 当初明細書第15頁4行の「本発明の表示器」は、染料なしの場合を含むことを示唆する記載であるにもかかわらず、本件決定はこの点を看過している。
当初明細書第14頁末行ないし第15頁6行の記載を便宜分節すると、次のとおりである。
(a) 染料なしに捩れネマチック効果またはシャットヘルフリッヒ効果を使用する現在の表示器は、約32経路(n=32)で多重化することができる。
(b) しかしながら、染色表示器は従来約n=3に制約されていた。
(c) 下記するように、本発明の表示器は明確なオン/オフ透過特性を与え、したがってnの高い値を与える。
ところで、上記(a)の主語が「染料なしに捩れネマチック効果またはシャットヘルフリッヒ効果を使用する現在の表示器」であるのに対して、上記(b)の主語は単に「染色表示器」と簡略に表現されているが、後者はいうまでもなく、「染料を含み捩れネマチック効果またはシャットヘルフリッヒ効果を使用する現在の表示器」という趣旨である。つまり、(a)は従来の表示器のうち染料なしの場合を、(b)は従来の表示器のうち染料を含む場合について述べたものである。そして、上記(c)は従来表示器についての(a)及び(b)の説明を受けて、これらと対比的に本願発明の表示器について述べようとするものであるから、(c)の主語である「本発明の表示器」は、当然のことながら、染料なしの場合と染料を含む場合の2通りの場合を含んでいるとみるのがごく通常の素直な読み方というものである。
また、当初明細書第14頁末行ないし第15頁6行の記載は、染料を含む従来技術と染料を含まない従来技術の双方との対比における本願発明の作用効果の卓越性を述べたものと解すべきであって、この点からも、「本発明の表示器」との記載は、本願発明の表示器が染料を含む場合と染料を含まない場合の両場合があることを示唆しているとみるべきである。
(4) 以上のとおり、当初明細書及び図面には、π~2πの捩れセルにおいて偏光子のみを「透過光を選択的に吸収する手段」として使用する発明が記載されているから、これが記載されていないとした本件決定の認定は誤りである。
3 (2)の補正についての認定の誤り(取消事由その2)
(1) 当初明細書には、液晶材料の層の厚さを示す数値として、「20μm未満」「8μm」「6μm」及び「12μmもしくはそれ以上」との記載がある。
これらの記載よりすれば、当初明細書には「層の厚みを15ミクロンよりも小さく」する場合が記載されているとみるべきは当然であり、(2)の補正は、当初明細書における数値範囲を単に減縮するものにすぎない。
本件決定は、上記「12μmもしくはそれ以上」(当初明細書第21頁16行)との記載について、π/2捩れネマチックに関するものであって、本願発明の捩れセルを示すものではないとしているが、前記2において述べたとおり、第21頁16行ないし第22頁1行の記載は、本願発明の液晶装置であるπ~2π捩れセルの場合の一つの実施態様に関するものであるから、上記認定は誤りである。
(2) 被告は、20μmの範囲内において、(2)の補正により追加された15μmの数値は、液晶セルの透過特性との関係で特定の技術的意義を有する数値として加えることとなる旨主張している。
しかし、(2)の補正により追加された数値は「15ミクロンよりも小さく」ということであるにすぎず、何も20μmの範囲内において15μmの数値そのものを特定の技術的意義を有する数値として新たに追加したわけではない。すなわち、当初明細書には、特定の技術的意義を有する具体的数値として、「6μm」「8μm」「12μmもしくはそれ以上」などの数値が記載されていることを踏まえて、その数値範囲の上限を「20μm未満」と画していたのを、(2)の補正により、その数値範囲の上限をよりきびしくそれら具体的数値に近付けるべく「15ミクロンよりも小さく」と低めに抑えたものであって、当初明細書における数値範囲の単なる減縮にすぎないから、被告の上記主張は失当である。
(3) 以上のとおりであるから、「層の厚みを15ミクロンよりも小さく」することは当初明細書及び図面に記載されておらず、かつ、同明細書及び図面の記載からみて自明のこととも認められないとした本件決定の認定は誤りである。
4 (3)の補正についての認定の誤り(取消事由その3)
(1) ヒステリシス特性が液晶材料の弾性定数、誘電定数に影響されることは本願出願当時においてよく知られていたことであり、当初明細書には、本願発明の実施例で使用されている7種類の液晶材料(ネマチック材料)について、その弾性及び誘電定数につきk33/k11及びΔε/ε⊥のデータが記載されている。
そして、このような弾性及び誘電定数を有する各液晶材料を、π~2π(とりわけ3π/2)の捩れセルにおいて、当初明細書の各実施例に示すセル厚さ、分子の低傾斜、高傾斜整列の別などの、装置の特定のパラメーターと総合した場合において、きわめて高いレベルの多重化を実現できたこと、すなわち、「材料の弾性定数および誘電定数、表面配向により生じる分子傾き、捩れ角、層厚みならびに液晶材料の自然ピッチは、それらが総合して、実質的に零のヒステリシスをもった急峻な透過-電圧特性を与える」ことが見出されたことは、これら実施例の各記載、及び当初明細書第15頁4行以下の「下記するように、本発明の表示器は明確なオン/オフ透過特性を与え、したがってnの高い値を与える」で始まる諸説明により十分開示されている。
(2) (3)の補正は、液晶材料の弾性定数及び誘電定数のみならず、それらと表面配向により生じる分子傾き、捩れ角、層厚みならびに液晶材料の自然ピッチなどの装置のパラメーターとが総合して、実質的に零のヒステリシスをもった急峻な透過-電圧特性を与えるように設定する趣旨のものであるところ、上記のとおり、当初明細書には、(3)の補正内容のような設定がなされていることが記載されているにもかかわらず、本件決定は、表面配向により生じる分子傾き、捩れ角、層厚さならびに該材料の自然ピッチなどの装置のパラメーターとは関係なく、弾性定数及び誘電定数のみによりそのように設定する趣旨の補正であると誤認し、その説示のとおり誤って認定したものであって、理由齟齬の違法がある。
5 (イ)ないし(ハ)の各補正についての認定の誤り(取消事由その4)
(1) (イ)の補正は、(1)の補正のうち、偏光子のみを「透過する光を選択的に吸収する手段」として使用することに関する部分の裏付けをなすものであるところ、前記2項で述べたとおり、偏光子のみを「透過光を選択的に吸収する手段」として使用することが当初明細書に記載されているから、(イ)の補正についての本件決定の認定は誤りである。
(2) (ロ)の補正は、(1)及び(3)の各補正内容の裏付けをなすものであるところ、前記2、4項で述べたとおり、上記各補正内容はいずれも当初明細書に記載されているから、(ロ)の補正についての本件決定の認定は誤りである。
(3) (ハ)の補正は、(3)の補正内容の裏付けをなすものであるところ、前記4項で述べたとおり、(3)の補正内容は当初明細書に記載されているから、(ハ)の補正についての本件決定の認定は誤りである。
6 本件補正事項の誤認(取消事由その5)
本件決定摘示の(イ)、(ロ)及び(ハ)の各補正は、本件補正による補正事項ではなく、これに先立つ平成元年1月19日付け手続補正(第2次補正)による補正事項であるにもかかわらず、本件決定は、これらを本件補正による補正事項であると誤認して、それら補正の許否を判断して本件補正を却下したものであるから、理由齟齬の違法がある。
(1) 一般に数次の補正が行われる場合、先行の補正の却下の確定を見届けた後に後行の補正を行う場合を別とすれば、出願人の意識下においては、明細書及び図面が先行の補正内容とおりに補正されていることを前提としつつ、後行の補正を行うものであることは否定できない。すなわち、特許請求の範囲のみを補正する本件補正を行った際の原告の意識としては、明細書中の発明の詳細な説明や図面については、第2次補正による補正内容である上記(イ)、(ロ)及び(ハ)の補正内容がそのまま維持されているとの前提に立っている。
しかしながら、そのことはあくまでも原告の意識下の前提にとどまるのであって、当該手続補正によって現実に補正が求められている補正事項が何かとは別次元の問題である。この点、全文補正明細書が添付される場合の手続補正とは事情が異なるというべきである。
(2) ところで、本件決定は、あくまでも原告が行った平成元年8月11日付け手続補正(本件補正)を対象として、これに対する応答処分としてなされたものであることは疑いない。
そうであれば、当然のことながら、原告が当該手続補正によって補正を求めていない既往の補正事項までも取り上げて、当該手続補正の却下理由とすることは許されないというべきである。
被告が論拠とする、本件補正時点において当初明細書の記載内容は特許請求の範囲以外は第2次補正で補正されたとおりの記載内容のものに変更されているとの主張は、所詮、当該時点における原告の意識下の前提をいうものにすぎず、このような、当該手続補正において現に補正が求められているのでない原告の意識下の前提にまで踏み込んで却下決定の理由に取り上げる筋合いは全くないのである。
なお、仮に、被告の論拠に基づく実務を一般的に是認するならば、たとえば、先行の補正が要旨変更となるかぎり、後行の補正が先行補正とは全く無関係な部分の軽微な誤記訂正の類いであっても先行補正の却下に重ねて後行補正も同一理由で却下しなければならないこととなるが、そのような実務が不合理であることはいうまでもない。
第三 請求の原因に対する認否及び反論
一 請求の原因一及び二は認める。同三は争う。
本件決定の認定、判断は正当であって、原告主張の誤りはない。
二 反論
1 取消事由その1について
(1) 当初明細書第4頁11行ないし第5頁7行には、ネマチック液晶を用いて構造分子配列を利用し、光変調手段としてポラライザを使用するTN型液晶についての説明が、第5頁8行ないし第6頁3行には、短ピッチのコレステリック材料を用い散乱モードを利用する液晶についての説明がそれぞれなされているが、これらについては、各液晶装置における電圧のオン、オフ状態における液晶の光変調作用についての説明がなされているだけである。すなわち、そこには従来技術の現状に関する記載があるだけであり、これら装置が有する問題点、つまり、これらにおける解決すべき技術的課題に関しては何ら記載ないし示唆されていない。
これに対して、当初明細書第6頁4行ないし第7頁3行には、ピッチが層厚さに等しいコレステリック材料を用い染料の吸収効果を利用するゲストホスト型液晶について説明されており、このゲストホスト型液晶についての問題点が述べられている。すなわち、「この装置は常に電圧の増加速度とは無関係に存在する顕著なヒステリシスを示す。このヒステリシスは、この装置の多重性(multiplexibility)を制限する。」(第6頁15行ないし18行)として、ゲストホスト型液晶装置におけるヒステリシスによる多重性の制限の問題が指摘されており、ここに始めて、本願発明において解決すべき技術的課題が登場するのである。そして、上記記載に続く記載において、「今回、多色染料を含み・・・コレステリック液晶セルは・・・明確な透過-電圧特性を示すことが見出された。」(第7頁4行ないし7行)として、上記ゲストホスト型液晶における多重レベルに関する本願発明の技術的課題に対応させて、その課題の解決手段である本願発明の技術的手段についての着眼点が示されているのである。
したがって、本願発明は、染料がその構成にとって必須の要件であるゲストホスト型液晶に係る発明であることは明らかである。
以上のことを前提に当初明細書の第7図の説明をみると、第7図のものは染料を含むものであり、また印加電圧に対する透過特性として、急速な電圧変化においてはヒステリシスが生じず、緩慢な変化においてはそれが生じるとの多重レベルに関する説明は、本願発明構成上の上記必須要件についての、より具体的な説明であることは疑いを入れる余地のないものである。
そして、当初明細書第20頁12行ないし第21頁15行には、ポラライザの使用、不使用についてのいくつかの態様が説明されているが、いずれも染料の存在を前提とするものであって、第7図の説明に付随するものとして理解することができる。
ところで、第21頁16行ないし第22頁1行の記載は、染料をその構成の必須の要件とするものではなく、また、印加電圧に対する透過特性の問題、すなわちヒステリシスに係わる多重レベルの問題と何ら関係しないものであって、前記のとおりの本願発明の技術的課題、及び技術的解決手段とは全く関係のないものであり、これを本願発明の実施態様に関する記載と認める余地など全く存在しない。第21頁16行ないし第22頁1行の記載からは、せいぜい、本願発明の実施態様以外のものにおいて、高複屈折材料で12μm以上という厚い層のものにおいては、染料を用いなくとも、2つのポラライザを使用することにより、従来技術のπ/2捩れネマチックにおける偏光切換効果が得られるという意味合い程度のものしか理解できない。
したがって、上記記載は、従来技術のπ/2捩れネマチックにおいて偏光子を使用した場合に染料を使用する必要がないことを示すもので、π~2πの捩れセルを示すものではないとした本件決定の認定に誤りはない。
(2) 染料をその発明の必須の構成要件とする本願発明において、染料を含まない実施例4は本願発明の実施例になりうる余地などない。
そして、実施例4には、3/5/7CBのネマチック液晶材料50重量%と3/5/7CNPYRのネマチック液晶材料50重量%とを混合することが開示されており、それらを混合すればそれだけで100重量%のネマチック液晶材料が形成されることは自明のことであって、それ以外のものが添加される余地はない。
したがって、実施例4は、当初明細書及び図面に記載された発明または補正後の発明の適当な実施例とは認められないとした本件決定の認定に誤りはない。
(3) 原告は、当初明細書第15頁6行の「本発明の表示器」は染料なしの場合を含むことを示唆する記載である旨主張するが、以下述べるとおり理由がない。
本願発明の技術的課題がゲストホスト型液晶の多重レベルを向上させることにあることはすでに述べたとおりであり、当初明細書第14頁末行ないし第15頁6行の記載は、このような技術的課題に対応して、従来技術における多重レベルにつき、染料を含まず捩れネマチック効果を用いるものはn=32と高いのに対して、染料を含むもの(ゲストホスト型)はそれがn=3と制約されているとして、染料を含むものと含まないものの両者を対比させながら、染料を含むものの多重レベルについての問題点を指摘しているのである。すなわち、上記記載は、「或る種の公知装置は・・・確保することができる。」(当初明細書第4頁11行ないし第5頁7行)との捩れネマチック装置の記載と対比して、「この装置は常に電圧の増加速度とは無関係に存在する顕著なヒステリシスを示す。このヒステリシスは、この装置の多重性(multiplexibility)を制限する。」
(同明細書第6頁15行ないし18行)と記載して本願発明のゲストホスト型液晶の技術的課題を提示したのと同様の対応関係を有する記載として理解すべきである。
したがって、上記「本発明の表示器」の記載は、染料なしの場合を含むことを示唆するものではない。
(4) 以上のとおりであるから、当初明細書及び図面にはπ~2πの捩れセルにおいて偏光子のみを「透過光を選択的に吸収する手段」として使用する発明は記載されていないとした本件決定の認定に誤りはない。
2 取消事由その2について
(1) 当初明細書には、セル厚みを示す数値として「20μm未満」「6μm」及び「8μm」の記載しかないことは明らかであり、「15ミクロン」は記載されていない。そして、液晶セルはセル厚とコレステリック材料のピッチとにより、分子捩れが規定されることになり、これが液晶セルの透過特性を変化させることになるが、(2)の補正により、20μm未満の範囲内において、追加された15μmの数値が、液晶セルの透過特性との関係で特定の技術的意義を有する数値として加えられることとなる。
したがって、(2)の補正についての本件決定の認定に誤りはない。
(2) 原告は、(2)の補正は当初明細書における数値範囲の単なる減縮にすぎない旨主張する。
液晶装置の厚み等を変えることにより液晶の特性が変化することは、当初図面第9図、第10図、及びそれに関連する当初明細書の記載部分に記載されており、ピッチpが一定の場合厚みdを変えることがそのまま特性の変化に結びつくことになる。したがって、セル厚を15μmに限定したものと20μmのものとが同じ特性を有するものと理解することはできず、15μmよりも小さくと低めに抑えることが、20μm未満とすることと同様の意義をもつものと理解することもできず、原告の上記主張は理由がない。
3 取消事由その3について
(1) (3)の補正についての認定の誤りをいう原告の主張は、本願発明における液晶の特性と液晶材料の弾性及び誘電定数とが関係を有するかのように当初明細書の記載を曲解するものであって失当である。
すなわち、当初明細書には、弾性及び誘電定数については、実施例で用いた液晶材料の一部につきk33/k11、Δε/ε⊥のデータが記載されているだけであって、「今回、多色染料を含み・・・ヒステリシスなしに・・・明確な透過-電圧特性を示す」(当初明細書第7頁4行ないし7行)という本願発明の液晶の特性と、液晶材料の弾性及び誘電定数との関係についての記載は全くないのである。のみならず、実施例4、5、8については弾性及び誘電定数につき何ら記載されていないが、むしろこれらの実施例の方が他の実施例に比較して高い多重レベルを達成しており、したがって、k33/k11、Δε/ε⊥のデータと、「実質的にヒステリシスなしに明確な透過/電圧特性を提供するように設定」することとが、どのようにかかわっているのか全く明らかにされていないのである。
(2) 原告は、(3)の補正は液晶材料の弾性定数及び誘電定数のみならず、それらと装置のパラメーターとが相まって、実質的に零のヒステリシスをもった急峻な透過-電圧特性を提供するよう設定する趣旨のものであるところ、本件決定は、装置のパラメーターは関係なく、弾性定数及び誘電定数のみによってそのように設定する趣旨の補正であると誤認したものであって、理由齟齬の違法がある旨主張する。
しかし、原告の主張は、本件決定における補正の箇所の指摘と、本件決定における要旨変更の判断事項との関係を理解しないものである。そして、原告の主張するような弾性定数等が零のヒステリシスをもった急峻な透過-電圧特性の提供に関与していることが当初明細書に記載されているものとは到底認めることはできないことについてはすでに述べたとおりであり、それを本件決定のとおり説示したものであって、原告の主張するような理由齟齬が存在しないことは明らかである。
4 取消事由その4について
当初明細書及び図面には、(イ)ないし(ハ)の各補正事項は記載されておらず、かつ、同明細書及び図面の記載からみて自明のこととも認められないから、(イ)ないし(ハ)の各補正についての本件決定の認定に誤りはない。
5 取消事由その5について
原告のした手続補正の経緯をみると、当初明細書につき昭和62年1月27日に特許請求の範囲の補正(第1次補正)が、平成元年1月19日に明細書の全文補正及び図面の補正(第2次補正)がそれぞれなされ、その後同年8月11日に特許請求の範囲のみの本件補正(第3次補正)がなされている。
してみれば、本件補正(第3次補正)時点において、当初明細書の記載内容は、特許請求の範囲以外は第2次補正で補正されたとおりの記載内容のものに変更されていることは更に説明をするまでもないことであるから、第2次補正に当初明細書に開示のない本件決定で摘示の(イ)、(ロ)、(ハ)の補正事項が含まれている以上、それを要旨変更の対象とすることはむしろ当然のことであり、本件決定は、このようなことから上記(イ)、(ロ)、(ハ)を補正却下の対象として取り上げただけのことである。
第四 証拠
本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。
理由
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本件決定の理由の要点)、及び本件決定の理由の要点1(本件補正の内容)のうち、特許請求の範囲が補正されたことは、当事者間に争いがない。
二 取消事由その1について
1 当初明細書及び図面には、「透過光を選択的に吸収する手段」として染料を使用し、偏光子は付加的に使用する発明は記載されていること、(1)の補正は、「透過光を選択的に吸収する手段」に染料または偏光子が含まれることを示すものであり、この補正により、正の誘電異方性を有する長ピッチのコレステリック液晶に染料を含むことを必須の構成要件とする発明が、染料を含まず偏光子のみを使用するものをも含む発明となること、及び当初明細書の実施例4は染料を用いていないことは、当事者間に争いがない。
2 第21頁16行ないし第22頁1行の記載について
原告は、当初明細書中の「高複屈折材料および12μmもしくはそれ以上の層については、2つのポラライザ間にセルを使用することにより、染料なしに偏光切換効果(π/2捩れネマチック)を得ることができる。」との記載
(第21頁16行ないし第22頁1行の記載)は、本願発明装置のうちで染料を含まない場合の実施態様を説明したものであるから、「従来技術のπ/2捩れネマチックにおいて偏光子を使用した場合に染料を使用する必要がないことを示すもので、π~2π捩れセルを示すものではない」とした本件決定の認定は誤りである旨主張するので、この点について検討する。
(1) 当初明細書(甲第4号証)の発明の詳細な説明の項には、(イ)「或る種の公知装置は捩れネマチック装置であって、ガラススライド間にネマチック材料の薄層を使用する。これらスライドは1方向に擦られ、かつ擦り方向を直交させて組立てられる。この擦りは液晶分子に表面整列を与え、層を横断して順次に90°の捩れをもたらす。光学軸線を擦り方向に対し垂直または平行にしたポラライザ間に設置すると、この装置はそのオフ状態において偏光面を回転させ、かつオン状態においては回転なしに透過する。少量のコレステリック材料をネマチック材料へ添加することにより、・・・90°の捩れが装置の全領域を横断して同方向なることを確保することができる。」(第4頁11行ないし第5頁7行)、(ロ)「短ピッチのコレステリック材料を使用する公知種類の装置は位相変化装置である。そのオフ状態、すなわち0印加電圧の状態において、この材料は光に対し散乱性である。コレステリック材料のピッチは、層厚さに比較して極めて小さい。層を横断して閾値より高い電圧を印加すると、その分子は螺線構造から回転して、加えられた電場に対し平行となる。これは、正のネマチック材料のオン状態と同様であって、光に対し透明である。電圧を除去すると、この材料はその光散乱性のオフ状態に復帰する。この種の装置については、セル壁部の表面整列は必要でない。この装置の利点は、捩れネマチック装置と比較して迅速な切換オフ時間および広い視野の角度である。」(第5頁8行ないし第6頁3行)、(ハ)「他の種類のセルは、ピッチが層厚さに等しいコレステリック材料を利用する。均質な境界条件により、平面状態は層を横断するダイレクタの2π回転により誘発される。多色染料を含ませると、オフ状態において光の吸収をもたらす。電圧の印加は液晶および染料分子を再配向させ、オン状態においてより高度の透過を与える。電圧が閾値より僅か上方まで増大すると、散乱性組織が形成され、この組織はさらに電圧を実質的に増大させると透明になってオン状態を与える。電圧を低下させると、閾値電圧における透過の急速な減少が起こる。したがって、この装置は常に電圧の増加速度とは無関係に存在する顕著なヒステリシスを示す。このヒステリシスは、この装置の多重性(multiplexibility)を制限する。」
(第6頁4行ないし末行)、(ニ)「今回、多色染料を含みかつ約3π/2の捩れを有する或る種のコレステリック液晶セルはヒステリシスなしに電圧を急速に増大させる明確な透過-電圧特性を示すことが見出された。」(第7頁4行ないし7行)、(ホ)「本発明によれば、正の誘電異方性を有する長ピッチのコレステリック液晶材料の層からなり、かつ電極構造を備える2つのセル壁部の間に含まれた所定量の多色染料を有すると共に、傾斜した均質構造中に液晶分子を整列させるように表面処理された液晶装置において、コレステリック材料の表面整列と自然ピッチpとをπラジアンより大きくかつ2πラジアンより小さい順次の分子捩れを均一傾斜方向にて層を横断して与えるように適合させ、層厚さdをピッチpで割った比を20μm未満のdの値に対し0.5~1.0の範囲として、装置を実質的にヒステリシスなしに明確な透過/電圧特性をもって光透過オン状態と非透過オフ状態との間で直接に切換えうることを特徴とする液晶装置が提供される。」(第7頁10行ないし第8頁6行。この構成は当初明細書の特許請求の範囲第1項記載のものと同じである。)と記載されていることが認められる。
上記(イ)、(ロ)、(ハ)の各記載によれば、液晶装置として、捩れネマチック装置であって、光変調手段としてポラライザ(偏光子)を使用するもの((イ)記載のもの)、短ピッチのコレステリック材料を使用する位相変化装置であって、光変調手段として散乱モードを利用するもの((ロ)記載のもの)、及びピッチが層厚さに等しいコレステリック材料を用いるものであって、光変調手段として染料の吸収効果を利用するもの((ハ)記載のもの)が、本願出願前公知であったことが認められる。
ところで、上記のとおり(イ)、(ロ)には、それぞれ記載の液晶装置について、電圧のオン、オフ状態における液晶の光変調作用についての説明が記載されているだけであって、これらの装置が有する問題点、ないしは解決すべき技術的課題に関しては何ら記載されていない。
しかるに、上記のとおり(ハ)には、光変調手段として染料の吸収効果を利用する(ハ)の液晶装置につき、電圧のオン、オフ状態における光の変調作用について説明されているだけではなく、この装置が常に電圧の増加速度とは無関係に存在する顕著なヒステリシスを示し、このヒステリシスが装置の多重性を制限するという問題点が指摘されているところ、上記(ハ)に続いて、(ニ)は上記のような問題点を解決すべき技術的手段が見出されたことを述べ、(ホ)においてその具体的構成を開示しているものであって、これらによれば、本願発明は、コレステリック材料を使用し、染料を含む上記(ハ)の液晶装置を前提として、この装置が有しているヒステリシスによる多重性の制限という問題点を解決すべく発明されたものであって、液晶材料として長ピッチのコレステリック材料を使用するとともに、染料を含むことを必須の構成要件として規定されたものであることが認められる。
(2) 当初明細書の発明の詳細な説明には、「染料を含みかつ単一のポラライザを使用する3π/2捩れの低傾斜(たとえば2°)の6μmのセルに特徴的な印加電圧に対する透過特性を第7図に示す。」(第19頁16行ないし第20頁1行)と記載されているとおり、第7図は、本願発明に係る液晶装置の印加電圧に対する透過特性を示したものであるが、第7図の説明に関連して、第20頁12行ないし第21頁15行には、「オフ状態においては、極めて僅かの光しか透過しないのに対し、ほぼ全ての光がオン状態において透過される。極めて高い複屈折(略)を有する液晶材料につき、オフ状態における偏光された光の案内(guiding)が生ずる。光源からの光が液晶と染料分子との軸線に沿ってかつこの軸線に対し垂直な方向に偏光された層に入ると、これは層を横断して案内されると共に吸収される。複屈折が低い場合(略)偏光された光の案内は小さく、偏光されない光のより多くのフラクションが染料分子により吸収されて、装置をポラライザなしに操作することを可能にする。セルがオン状態にあると、液晶および染料分子は壁部に対し垂直方向に再配向され、ただし液晶材料は正の誘電異方性を有する(略)。この状態において、殆んど光は染料により吸収されない。高複屈折材料(略)については、単一のポラライザを使用してオフ状態における吸収を増大させるのが好ましい。低複屈折材料(略)については、ポラライザを使用せずに、より明るいオン状態を形成するのが好ましい。」と、染料を含む液晶装置において、オン、オフの各状態における光の吸収と偏光切換効果について、液晶材料が高複屈折材料の場合と低複屈折材料の場合につき説明され、また、ポラライザを使用しないで液晶装置を操作できることや、ポラライザの使用、不使用の好ましい態様について説明されている。
しかして、第21頁16行ないし第22頁1行の記載は、上記記載に続いて記述されているものであるが、前記(1)に認定のとおり、本願発明は、コレステリック材料を使用し、染料を含む前記(ハ)の液晶装置を前提として、この装置が有しているヒステリシスによる多重性の制限という問題点を解決すべく発明されたものであって、染料を含むことを必須の構成要件として規定されたものであり、染料なしの場合も含むものと想定しているとは考えられないこと、第21頁16行ないし第22頁1行の記載には、「染料なしに偏光切換効果(π/2捩れネマチック)を得ることができる。」と記載されていることからしても、液晶材料が高複屈折で12μmもしくはそれ以上の層厚さのものにおいては、染料を用いなくとも、2つのポラライザを使用することにより、従来技術であるπ/2捩れネマチックにおける偏光切換効果を得られることが記載されているにすぎないと解するのが相当であることからすると、第21頁16行ないし第22頁1行の記載は、本願発明の実施態様として記載されているものと認めることはできない。
したがって、上記記載は、従来技術のπ/2捩れネマチックにおいて偏光子を使用した場合に染料を使用する必要がないことを示すもので、π~2πの捩れセルを示すものではないとした本件決定の認定に誤りはない。
(3)<1> 原告は、請求の原因三項2(1)<1>掲記の理由により、第21頁16行ないし第22頁1行の記載は、本願発明装置のうちの変形例たる一つの実施態様として説明されているものである旨主張する。
第7図は、「染料を含みかつ単一のポラライザを使用する3π/2捩れの低傾斜(たとえば2°)の6μmのセル」という、特定の条件が設定された本願発明に係る液晶装置についての印加電圧と透過特性との関係を示すものであり、また、上記(2)で述べたとおり、当初明細書には、第7図に関連して、第7図のもの以外の実施態様としてポラライザを使用しないことが可能であることや使用しないことが好ましいといった場合についても記載されている。
しかし、上記(1)、(2)において説示したとおり、本願発明は染料を含むことを必須の構成要件として規定されたものであること、第21頁16行ないし第22頁1行の記載には「偏光切換効果(π/2捩れネマチック)を得ることができる。」と明記されていて、上記記載は、従来技術であるπ/2捩れネマチックにおける偏光切換効果が得られることが記述されているにすぎないと解するのが相当であることからすると、ポラライザについては使用、不使用の態様があることと同列に考えて、第21頁16行ないし第22頁1行の記載が、本願発明装置の変形例たる一つの実施態様として説明されていると解することはできないし、また、「染料を含みかつ単一のポラライザを使用する3π/2捩れの低傾斜(たとえば2°)の6μmのセル」との記載の反面解釈として、この記載は、本願発明装置は第7図以外の実施態様においては染料を含まない場合がありうることを前提とした記載であるとみることもできない。
したがって、原告の上記主張は採用できない。
<2> 原告は、当初明細書第21頁11行に記載されている「高複屈折材料」は、本願発明の使用液晶材料である長ピッチのコレステリック混合物たる3π/2捩れネマチックの場合を指していることは明らかであるところ、第21頁16行ないし第22頁1行の記載中の同一用語である「高複屈折材料」が何の断りもなしにπ/2捩れネマチックの場合を指すものとして使用されているとみることはいかにも唐突である旨主張するが、第21頁16行ないし第22頁1行の記載中には、「偏光切換効果(π/2捩れネマチック)」と明確に記載されているのであるから、上記主張は採用できない。
<3> 原告は、90°の捩れネマチックに関しては、当初明細書の第14頁以下の記載において、わざわざ染料を使用しない場合について言及しているのであるから、第21頁16行ないし第22頁1行の記載において、従来技術にすぎないπ/2捩れネマチックの場合について、再度にわたり、本件決定がいうような「従来技術のπ/2捩れネマチックにおいて染料を使用する必要がないことを示す」必要など全くなかったはずであって、本件決定のように解するのは不自然である旨主張するが、叙上説示したところに照らして採用することができない。
<4> 原告は、上記「偏光切換効果(π/2捩れネマチック)」とあるのは、「偏光切換効果に関してはπ/2捩れネマチックの場合を参照のこと」、つまり「π/2捩れネマチックの場合と同様ないし類似の偏光切換効果」を意味していると解すべきである旨主張するが、「偏光切換効果(π/2捩れネマチック)」の記載が、当然に「偏光切換効果に関してはπ/2捩れネマチックの場合を参照のこと」を意味しているものと解することはできないし、当初明細書には、従来技術であるπ/2捩れネマチックの偏光切換効果と、本願発明の使用液晶材料である3π/2捩れネマチックの偏光切換効果とが同様ないし類似の関係にあることを認めるに足りる記載はないから、原告の上記主張は採用できない。
3 実施例4について
原告は、実施例4は当初明細書及び図面に記載された発明または補正後の発明の適当な実施例とは認められないとした本件決定の認定は誤りである旨主張するので、この点について検討する。
(1) 前記のとおり、実施例4は染料を含まないものであるが、当初明細書の特許請求の範囲第1項においては、正の誘電異方性を有する長ピッチのコレステリック液晶に染料を含むことを必須の構成要件として規定されているから、染料を含まない実施例4は本願発明の実施例とは認めえないものである。
そして、当初明細書には、実施例4として「セル厚さ:8μm、低傾斜整列、材料:(B.D.H.)3/5/7CB50重量%+3/5/7CNPYR50重量%、(V2/V1)T=20°=1.072、n=200。」(第26頁3行ないし8行)と記載されており、ネマチック液晶材料である3/5/7CB及び3/5/7CNPYRは各50重量%であるから、他の液晶材料、すなわちコレステリック材料が添加される余地はないものと認めざるをえない。したがって、この点からいっても、実施例4は本願発明の適当な実施例とは認められず、本件決定の認定に誤りはない。
(2)<1> 原告は、本願発明はコレステリック液晶を含むことを必須とする発明であるから、実施例4も本願発明の実施例として掲げられている以上、その液晶材料がコレステリック液晶を含んでいることは当然であり、コレステリック液晶についての記載が欠落しているのは、何らかの事情による書き落としとみて、訂正さるべき誤記と認めるのが合理的であるし、実施例4における多重化しうるラインの最大数nが200という、従来の捩れネマチック装置では到底達成できない高いレベルの多重化を実現していることからいっても、実施例4の装置はまさに本願発明であるコレステリック混合物を使用する装置である旨主張する。
しかし、前記のとおり、そもそも染料を含まない実施例4は本願発明の実施例とはいえないのであるから、コレステリック液晶の添加が記載されていないことが単なる誤記であると即断することはできないものである。
また、当初明細書には、「染料なしに捩れネマチック効果またはシャットヘルフリッヒ効果を使用する現在の表示器は、約32経路(n=32)で多重化することができる。しかしながら、染色表示器は従来約n=3に制約されていた。下記するように、本発明の表示器は明確なオン/オフ透過特性を与え、したがって、nの高い値を与える。」(第14頁末行ないし第15頁6行)と記載されているところ、実施例4のn=200という数値は確かに、上記のような従来レベルからすればきわめて高いレベルの多重化を実現したものであるということはできるが、このことから当然に、実施例4の装置がコレステリック混合物を使用する装置であることが裏付けられるものということはできない。
したがって、原告の上記主張は採用できない。
<2> 原告は、実施例2及び9において使用されている2種類のネマチック液晶相互間の重量比を例に引いて、実施例4に3/5/7CB50重量%とか3/5/7CNPYR50重量%とかと記載されている場合のこれらの重量%も、組合わせにかかる2種類のネマチック液晶相互間限りにおける重量比を示すもの、すなわち両ネマチック液晶材料を50対50の当量組合わせにおいて使用するとの意味に理解すべきである旨主張するが、「重量%」をそのような意味を有するものとして解することは到底できず、採用できない。
4 当初明細書第15頁4行目に記載の「本発明の表示器」について
当初明細書第14頁末行ないし第15頁6行には、「染料なしの捩れネマチック効果またはシャットヘルフリッヒ効果を使用する現在の表示器は、約32経路(n=32)で多重化することができる。しかしながら、染色表示器は従来約n=3に制約されていた。下記するように、本発明の表示器は明確なオン/オフ透過特性を与え、したがってnの高い値を与える。」と記載されているところ、原告は、上記「本発明の表示器」との記載は、本願発明の表示器が染料を含む場合と染料を含まない場合の2通りの場合があることを示唆しているものである旨主張するので、この点ついて検討する。
上記記載中の「染料なしの捩れネマチック効果またはシャットヘルフリッヒ効果を使用する現在の表示器は、約32経路(n=32)で多重化することができる。しかしながら、染色表示器は従来約n=3に制約されていた。」との部分は、従来の液晶装置において、染料を含まないものと染料を含むものとを対比して、染料を含むものの多重レベルについての問題点を指摘しているものであることは、その文脈から明らかである。そして、上記記載部分に続く「下記するように、本発明の表示器は明確なオン/オフ透過特性を与え、したがってnの高い値を与える。」との部分は、上記指摘にかかる問題点を解決するものとして記載されているものと解するのが相当であり、このように解することは、前記2項掲記の(ハ)の液晶装置についてヒステリシスによる多重性の制限という技術的課題に関連して、当初明細書に「今回、多色染料を含みかつ約3π/2の捩れを有する或る種のコレステリック液晶セルはヒステリシスなしに電圧を急速に増大させる明確な透過-電圧特性を示すことが見出された。」と記載されていることとも符合するものであって、「本発明の表示器」は染料を有するものに限られるものというべきである。
また、当初明細書記載の実施例によれば、本願発明の表示器によって得られる多重化度は、最小の場合でn=40(実施例1)、最大の場合でn=590(実施例8)と、染料を含まない従来技術のものに比して高い多重レベルを達成していることが認められるが、そのことから当然に、本願発明の表示器が染料を含む場合と染料を含まない場合の2通りの場合があることを示唆しているとまでは認め難い。
したがって、原告の上記主張は採用できない。
5 以上のとおりであって、当初明細書及び図面には、π~2πの捩れセルにおいて偏光子のみを「透過光を選択的に吸収する手段」として使用する発明は記載されていないとした本件決定の認定に誤りはなく、取消事由その1は理由がない。
三 取消事由その2について
1 当初明細書及び図面には、液晶材料の層の厚さを示す数値として「20μm未満」「6μm」「8μm」が記載されていること、当初明細書及び図面には、「層の厚みは15ミクロンよりも小さく」との記載自体はないことは、当事者間に争いがない。
当初明細書第21頁16行には、層の厚さを示すものとして「12μmもしくはそれ以上」との記載があるが、前記説示したとおり、これはπ/2捩れネマチックに関するものであって、本願発明の捩れセルを示すものではなく、これに反する原告の主張は採用できない。
2 ところで、当初明細書中の「第9図は、透過特性を第7図に示したような低傾斜セルにおけるd/pを変化させる効果を示している。コレステリック材料のピッチpに対する層厚さdが0.5以上に増大するにつれて、V1の値は一定に留まる。しかしながら、V2の値は約0.75のd/pまで徐々に増大し、次いで急上昇する。かくして、低傾斜セルについてのd/pの値は好ましくは0.5~0.75の範囲になる。3π/2の捩れにつきd/p<0.75の値において表面により誘起される付加的歪みは、セルが閾値電圧V1のすぐ上において散乱性組織を形成するという傾向を減少させる。高傾斜、たとえば30°を有する表面整列をもった3π/2捩れのセルは、第8図に示した透過特性を有する。V1より高い印加電圧について、透過は徐々にまたは急速に増大かつ減少する電圧の両者に対し殆んどヒステリシスなしに急激に変化する。この高傾斜セルにつき、d/pの変化を伴なうV1およびV2の変化を第10図に示す。V1およびV2の両者は、d/pの増大と共に絶えず増大する。傾斜が2つのセル壁部について異なる場合、同様な結果が得られる。たとえば、一方の傾斜を0もしくは2°とし、かつ他方を30°として整列を第6図に示したような捩れ方向に適合させることができる。」(第22頁2行ないし第23頁7行)との記載、及び第9図、第10図(別紙図面参照)によれば、液晶セルは、セル厚とコレステリック材料のピッチとにより、分子捩れが規定されることになり、これが液晶セルの透過特性を変化させることになるものであることが認められる。
そうすると、液晶セルの透過特性との関係で、「層の厚みは15ミクロンよりも小さく」ということが、当初明細書に記載されている「20μm未満」とするということと同様の技術的意義を有するものとは認め難く、(2)の補正は、特定の技術的意義を有する数値として加えられることになると認めるのが相当である。
したがって、「層の厚みを15ミクロンよりも小さく」することは当初明細書友び図面に記載されておらず、かつ、同明細書及び図面の記載からみて自明のこことも認められないとした本件決定の認定に誤りはない。
3 原告は、当初明細書においては、特定の技術的意義を有する具体的数値として、「6μm」「8μm」「12μmもしくはそれ以上」などの数値が記載されていることを踏まえて、その数値範囲の上限を「20μm未満」と画していたのを、(2)の補正により、その数値範囲の上限をよりきびしくそれらの具体的数値に近づけるべく「15ミクロンよりも小さく」と低めに抑えたものであるから、当初明細書における数値範囲の単なる減縮にすぎない旨主張するが、上記のとおり、(2)の補正は、液晶セルの透過特性との関係で特定の技術的意義を有する数値として加えられることになるから、数値範囲の単なる減縮ということはできず、上記主張は採用できない。
したがって、取消事由その2は理由がない。
四 取消事由その3について
1 当初明細書及び図面には、弾性定数及び誘電定数については液晶材料のk33/k11、Δε/ε⊥のデータが記載されていることは当事者間に争いがない。但し、甲第4号証によれば、当初明細書記載の実施例1ないし10のうち、実施例4、5、8については、上記データは記載されていないことが認められる。
2 本願発明の液晶装置は、当初明細書に「今回、多色染料を含みかつ約3π/2の捩れを有する或る種のコレステリック液晶セルはヒステリシスなしに電圧を急速に増大させる明確な透過-電圧特性を示すことが見出された。」(第7頁4行ないし7行)、「本発明によれば、・・・装置を実質的なヒステリシスなしに明確な透過/電圧特性をもって光透過オン状態と非透過オフ状態の間で直接に切換えうることを特徴とする液晶装置が提供される。」(第7頁10行ないし第8頁6行)、「本発明の表示器は明確なオン/オフ透過特性を与え、したがってnの高い値を与える。」(第15頁4行ないし6行)と記載されているように、零のヒステリシスをもった明確な透過-電圧特性を与えるという特性を有するものである。
ところで、上記1のとおり、当初明細書には、実施例1ないし10のうち、実施例4、5、8を除くものについては、弾性定数及び誘電定数につき、k33/k11、Δε/ε⊥のデータが記載されているが、当初明細書には、これらのデータと本願発明の上記特性との関連については何ら記載されていないことが認められる。そして、上記弾性定数及び誘電定数のデータが記載されている実施例におけるn値(多重化しうるラインの最大数)は、実施例1が40、同2が46、同3が72、同6が58、同7が64、同9が190、同10が170であるのに対し、上記データが記載されていない実施例におけるn値は、実施例4が200、同5が268、同8が590であって、上記データが記載されていない実施例の方がデータが記載されている実施例に比して、n値が高いことが認められる。
そうすると、弾性定数及び誘電定数と、「実質的に零のヒステリシスをもった急峻な透過-電圧特性を与えるように設定」することとの関連が明確ではないということができるから、当初明細書及び図面には、弾性定数及び誘電定数により実質的に零のヒステリシスをもった急峻な透過-電圧特性を与えるように設定することは記載されておらず、かつ、同明細書及び図面の記載からみて自明のこととも認められないとした本件決定の認定に誤りはない。
3 原告は、(3)の補正は、液晶材料の弾性定数及び誘電定数のみならず、それらと表面配向により生じる分子傾き、捩れ角、層厚みならびに液晶材料の自然ピッチなどの装置のパラメーターとが総合して、実質的に零のヒステリシスをもった急峻な透過-電圧特性を与えるように設定する趣旨のものであるところ、当初明細書には、(3)の補正内容のような設定がなされていることが記載されているとした上、本件決定は、表面配向により生じる分子傾き、捩れ角、層厚さならびに該材料の自然ピッチなどの装置のパラメーターとは関係なく、弾性定数及び誘電定数のみによりそのように設定する趣旨の補正であると誤認し、その説示のとおり誤って認定したものであって、理由齟齬の違法がある旨主張する。
しかし、本件決定は、(3)の補正につき「材料の弾性定数および誘電定数、表面配向により生じる分子傾き、捩れ角、層厚みならびに液晶材料の自然ピッチは、それらが総合して、実質的に零のヒステリシスをもった急峻な透過-電圧特性を与えるように設定されており」とするものと認定した上、上記補正が明細書の要旨の変更に当たるか否かという観点から、実質的に零のヒステリシスをもった急峻な透過-電圧特性を与える上記要因のうち、弾性定数及び誘電定数との関係が当初明細書に明らかにされているか否かの点を取り上げ、その説示のとおりの認定をしたものであって、(3)の補正が、弾性定数及び誘電定数のみにより実質的に零のヒステリシスをもった急峻な透過-電圧特性を与えるように設定する趣旨の補正であると誤認したとは認められない。そして、上記各要因を総合したものと上記特性との関連が当初明細書及び図面に十分に開示されているとは認め難く、(3)の補正が明細書の要旨の変更に当たるか否かを考える際に、上記要因のうちから、データ記載のある弾性定数及び誘電定数の点を取り上げることは、格別不適切であるとは認められず、本件決定に理由齟齬の違法があるとは認め難い。
したがって、原告の上記主張は採用できず、取消事由その3は理由がない。
五 取消事由その5について
原告は、本件決定は(イ)ないし(ハ)の各補正を本件補正による補正事項と誤認した旨主張するので、取消事由その4の検討に先立って、取消事由その5について検討する。
1 当裁判所に顕著である平成4年(行ケ)第33号事件記録に編綴されている昭和62年1月27日付け手続補正書及び同第34号事件記録に編綴されている平成元年1月19日付け手続補正書、ならびに前記一項の争いのない事実によれば、当初明細書につき昭和62年1月27日に特許請求の範囲の補正(第1次補正)が、平成元年1月19日に明細書の全文補正及び図面の補正(第2次補正)がそれぞれなされ、その後同年8月11日に特許請求の範囲を補正する本件補正(第3次補正)がなされたことが認められる。
ところで、数次の補正手続が行われた場合において、後行の補正手続の時点における明細書及び図面の記載内容は、後行の補正事項のみならず、先行の補正事項のうち後行の補正手続により補正されなかった部分も当然含まれているから、後行の補正の適否の判断の対象として、後行の補正事項のみならず、先行の補正事項のうち後行の補正手続により補正されなかった部分も含まれることは当然のことである。
しかして、上記補正手続の経緯によれば、本件補正時点における本願明細書の記載内容は、本件補正に係る特許請求の範囲のほかは、第2次補正で補正されたとおりの内容のもの、また、図面は出願当初のもの及び第2次補正により追加されたものということになるところ、当初明細書及び図面(甲第4号証)、及び全文補正明細書(平成元年1月19日付け手続補正書による補正明細書)によれば、本件補正により補正された明細書及び図面には、補正事項として、本件決定が摘示した(イ)ないし(ハ)が含まれていることが認められるから、本件決定が、本件補正の適否を判断するにつき、上記の点を本件補正による補正事項と認定し、その対象としたことに誤りはない。
2 原告は、(イ)、(ロ)及び(ハ)の各補正は本件補正による補正事項ではないことを理由として、本件決定は補正事項を誤認したものであり、理由齟齬の違法がある旨縷々主張するが(請求の原因三項6)、独自の見解に基づくものであって採用できない。
したがって、取消事由その5は理由がない。
六 取消事由その4について
1 (イ)の補正について
当初明細書及び全文補正明細書によれば、(イ)の補正は、ⅰ)3π/2捩れセルがπ/2セルと類似の方法で動作すること及び該3π/2捩れセルの透過-Δnd/λ曲線(第13図)、ⅱ)モーガン極限を考慮して上記液晶セルを動作させること、並びにⅲ)隣接する配向方向に対して偏光子を45度の角度をもたせて配置した偏光子の間に3π/2捩れセルを置くこと及び該セルの透過-Δnd/λ曲線(第14図)の各事項を加えるものであることが認められる。そして、(イ)の補正は、(1)の補正内容のうち、偏光子のみを「透過する光を選択的に吸収する手段」として使用することに関する部分の裏付けをなすものであることは当事者間に争いがない。
しかし、当初明細書及び図面には、上記補正事項は記載されておらず、かつ、同明細書及び図面の記載からみて、自明のこととも認められない。
原告は、偏光子のみを「透過光を選択的に吸収する手段」として使用することが当初明細書に記載されているから、(イ)の補正についての本件決定の認定は誤りである旨主張するが、当初明細書に上記の点の記載がないことは前記二項に説示したとおりであって、上記主張は理由がない。
2 (ロ)の補正について
当初明細書及び全文補正明細書によれば、(ロ)の補正は、ⅰ)染料を含まない実験結果及び染料を含まず捩れ角を225度とする実験結果(第15図ないし第23図)、ⅱ)液晶セルの透過-電圧特性をθm-電圧特性により予測すること及びθm-電圧特性の計算結果(第24図ないし第27図)、ⅲ)θmの電圧依存曲線の初期傾斜に関する計算式が捩れ角φ、d/p、弾性定数、誘電率等のパラメータを含むこと及び該パラメータのうち弾性定数、誘電率を選択、制御することにより液晶装置のヒステリシス等の性能を所望のものにしうること、並びにⅳ)染料がディレクタの性質に著しい変化をもたらさないことの各事項を加えるものであることが認められる。そして、(ロ)の補正は、(1)、(3)の各補正内容の裏付けをなすものであることは当事者間に争いがない。
しかし、当初明細書及び図面には、上記各補正事項は記載されておらず、かつ、同明細書及び図面の記載からみて、自明のこととも認められない。
原告は、(1)、(3)の各補正内容は当初明細書に記載されているから、(ロ)の補正についての本件決定の認定は誤りである旨主張するが、当初明細書に上記の点の記載がないことは前記二、四項に説示したとおりであって、上記主張は理由がない。
3 (ハ)の補正について
当初明細書及び全文補正明細書によれば、(ハ)の補正は、ⅰ)ヒステリシスの値が、液晶材料の弾性定数、誘電定数、誘電異方性の装置パラメータに依存すること、ⅱ)ディレクタの傾き角θm-電圧特性、電圧-捩れ角φ、電圧-d/p比、電圧-表面傾きθs、電圧-γ、電圧-スプレイ弾性定数k11、電圧-捩れ弾性定数k22、電圧-曲げ弾性定数k33を具体的にプロットした第28図ないし第35図、及びⅲ)k33/k11比をパラメータとして液晶の特性を変えることの各事項を加えるものであることが認められる。そして、(ハ)の補正は、(3)の補正内容の裏付けをなすものであることは当事者間に争いがない。
しかし、当初明細書及び図面には、上記補正事項は記載されておらず、かつ、同明細書及び図面の記載からみて、自明のこととも認められない。
原告は、(3)の補正内容は当初明細書に記載されているから、(ハ)の補正についての本件決定の認定は誤りである旨主張するが、当初明細書に上記の点の記載がないことは前記四項に説示したとおりであって、上記主張は理由がない。
4 以上のとおりであって、(イ)ないし(ハ)の各補正についての本件決定の認定に誤りはなく、取消事由その4は理由がない。
七 以上のとおり、原告主張の取消事由はいずれも理由がなく、本件決定に原告主張の違法はない。
よって、原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の定めについて行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、158条2項を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濱崎浩一 裁判官 押切瞳)
別紙
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